アタミロープウェイの真下は海だった!?

 今では「熱海秘宝館」へのアクセス用の為に作られたようなイメージがあるアタミロープウェイですが、その開業は古く昭和33年5月16日と日本がレジャーブームであちこちにロープウェイが作られた頃に誕生した中の1つでした。個人的には子供の頃に乗せてもらい、自分がロープウェイ好きなるキッカケにもなった場所なので思い入れも深いロープウェイです。熱海後楽園の大きな傘のような屋根を横に見下ろして登っていくのが印象的でした。その頃はまだ秘宝館はなく山頂駅には爬虫類館がありました。当時の搬器には爬虫類館のロゴやヘビとかトカゲの写真がラッピングされていて子供ながらにイヤだと思った記憶も残っています。ともあれそんな愛着があるロープウェイなので古い絵葉書なども集め始めたのですが、そこである疑問が出てきたのです。その中の一枚に「海上ロープウェイ」と書かれているのがあった。海上?...このロープウェイは熱海後楽園の横を走行しているので陸の上にある。ロープウェイの開業が昭和33年で熱海後楽園の開業が昭和40年8月、という事は熱海後楽園ができる7年前までは下は海だったのか?後楽園のある場所は埋め立て地だった?という予測がたったわけです。

 絵葉書には発行年月日が書かれていないのでいつ頃なのかわかりませんが、印刷の雰囲気からすると開業まもない昭和33年頃だと思います。「空中ケーブルカー」と書かれています。  もう少し後の絵葉書になると「海上ロープウェイ」と書かれています。この絵葉書では真下が見えないのでわかりませんが熱海後楽園の建物はまだ見えません。搬器の塗装も屋根まで赤く塗られています。

 白と赤の配色から赤と山吹色に変更になっています。この頃の搬器には「きんぱ」「ぎんぱ」という名前があったようです。この2枚はほぼ同じ場所から撮影されていると思いますが右の絵葉書では熱海後楽園の観覧車と屋根が見えます。埠頭の位置から察すると左の絵葉書では後楽園がある場所は海だった事がわかります。右の絵葉書の搬器の色がやや褪せているが時の流れを感じます。

 熱海の名所「お宮の松」の絵葉書なのですが、その奥にロープウェイの駅を確認する事ができました。熱海後楽園はまだない。この画像でロープウェイの真下はほぼ海だったことがわかりました。アタミロープウェイは高低差もさほど高くなくあまり醍醐味がないのですが、この頃の様に真下が海だった頃はけっこうスリル感もあったことでしょう。

古いチケット

(2009年2月4日)

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